「かしの木学園」は2024年(令和6年)8月7日に50年目の誕生日を迎えます。開園してから今日に至るまで、所沢市社会福祉協議会の運営のもとで存続し、事業運営が継続できていることは、父母・地域の皆様・行政をはじめ、過去かしの木学園を立ち上げ、運営の中心となった歴代の園長様の多大なるお力があったからこそと感じております。この場を借りてお礼を申し上げます。
ここに50年の歴史を書き綴るにはとても足りませんが、過去の記念誌の一部を抜粋しながら、かしの木学園の歴史を少し紹介したいと思います。
1974年(昭和49年)8月7日、とても暑い日でした。その中多くの方の願いと力の結晶として「かしの木学園」がこぶし団地のはずれに開園しました。開園当初の正式名称は「心身障害児通園事業かしの木学園(当初記録より)」です。
※こぶし団地のはずれに開園しました当時園舎の一部お部屋の写真
1971年(昭和46年)には「精神薄弱児通園施設(現在:児童発達支援センター所沢市立松原学園)」が開園されましたが、この時には法的基準によって肢体不自由と重度重複障害児の多くは受け入れがされませんでした。その中で「障害の種別や年齢を問わない施設づくり」の理念のもと、1972年(昭和47年)11月には肢体不自由児の保護者によって「あゆみの会」が設立されました。その後所沢市の管理のもとで1974年(昭和49年)8月に「所沢市社会福祉協議会」の運営で「かしの木学園」はスタートしました。
開園から12年後の1986年(昭和61年)に現在の園舎が完成し、所沢市の条例による「心身障害児通園」として第2のスタートとなりました。
※現在の中富にあるかしの木学園の園舎
その後障害福祉・児童福祉の分野においては、制度が徐々に充実していきました。現在のかしの木学園は「児童福祉法」に基づく「児童発達支援事業」として運営しており、令和4年度より「主として重症心身障害児が通う施設」として埼玉県からの認可を受け、引き続き「重症心身障害児」「医療的ケア児」の充実したサービス提供を展開すると同時に、昨今早期発見されている「発達障害児」「発達に遅れのある児」の早期療育にも対応しています。その中でも本園が一番大切にしていることは、療育と同時に父母の「子育て」も支援する「親子活動」であり、子どもの発達面や身体面、医療ケア面において保護者と一緒に考えて療育を進めていきながら職員一同頑張っているところです。
現在50年目を迎えるかしの木学園の園舎の隣には、「所沢市立松原学園(現:児童発達支援センター)」が隣接しています。運営主体は所沢市の直営と所沢市社会福祉協議会とで分かれておりますが、現在は発達障害児・発達に遅れのある子どもにおいては、年少・年中になる段階から松原学園へ移行される子どもも多く、関わりを深めています。
さて、ここでかしの木学園内のある一つのお部屋を紹介します。
※かしの木学園内 父母室 兼 相談室
このお部屋は数年前までは「父母室」という名称でした。
かしの木学園には設立当時から「父母会」がありました。自らの手で施設を立ち上げ、充実した施設運営を存続させるため、父母同志が共同して子育てすると同時に、子どもをかしの木学園で療育する合間に、お昼休みの昼食の場を主として父母の交流に役立ってきた部屋です。多くの要望を行政に出す話しもたくさんされたと伺っております。卒園された園児の母親が今でも見学に来られることが多いですが、この部屋を見て当時の頑張りを懐かしまれており、「ここで育ったようなもの」という声をたくさん頂いています。
時代が大きく変わり、福祉もサービスが主流となった為、父母自らが頑張るというよりは福祉に関わる行政や民間企業が地域を支えていく考え方に大きく変わり、現在かしの木学園では「父母会」はなくなっております。
しかし、現在在園されている父母の方も「父母同士の交流がしたい」という要望は多く、職員も「日々の療育時間とは別に少しでも父母の交流が持てる場を提供したい!!」という想いから、学園の主催として年に数回「保護者交流会」を開催し、父母の願いに少しでも役立てられるよう企画しています。
50年前の設立当初からは大きく事業運営が変わってきているかしの木学園ですが、今も大切に受け継いでいることは
「好きなあそびをみつけたい!ひろげたい!」
「こころもからだも大きく大きく育ちたい!」
そして「今も昔も子育ては変わらない」ことを念頭に、子育てを頑張っている父母の皆様に伴走して子どもの療育の実践向上を目指し、今後も引き続き地域の皆様のお力を頂きながら職員一同前に向かって走ってまいります。
かしの木学園 園長 北 敦夫